街の音楽が止まってしまった時に、二度いたことがある。911のニューヨーク。そして2008年、ガザ爆撃下のパレスチナ人居住地。
ビルから人が次々降って来ている時に、あるいは祖母の家に爆弾が降り注いでいる時に、音楽をかけてる奴はいない。音楽なんか無力で、全く贅沢なもので、僕らの呑気さと浅はかさを象徴するようなもので、そもそも「音楽は世界を救う」みたいな言い方そのものが、それだと思う。
音楽は悲惨さの後、暫くしてやってくる。人がどうにか、愛すべき呑気さと浅はかさに戻ろうとする中で。でも地獄のただ中で力があるのは、医療とか、建設、運搬、農産、どこかの倉庫の鍵を持ってる人、いや、銃を持っている人。音楽? 何それ。
オープニング・モノローグの元にあったのは、そんなこと。加えて十一夜には「町に血が流れる時、あとがき」という朗読をした。
第十一夜のゲスト七尾旅人くんについては、笑うけど「あいつはめちゃくちゃにするから呼ばないほうがいい」という声があった。たぶん僕も昔は「あいつはめちゃくちゃにするから」と、陰口を叩かれていたのだろう。「めちゃくちゃにするな」とか「普通にやれよ」とかいう言葉には、どうも無自覚な平凡さと傲慢さの、死んだ臭いがある。
旅人くんは「今日と言う時の特別ということで」と言って、小さな歌を歌って夜を始めてくれた。そしてアンコールではブギーバックを、言い方は変かもしれないけど、せつせつと響かせた。麦わら帽子で。
生きている臭いは、時に人を不安にさせながら、むんむんと続く。その源は、よく見ると「めちゃくちゃ」ではない。
楽屋はごった返していて、明日の公演後の機材の運搬の打ち合わせなど、現実にまみれながら、最終夜へ。