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 フジファブリックさん? くん? たちによる「ぼくらが旅に出る理由」が発売になるそうです。
 彼らについては「ひふみよ」ツアー中にスカパラのメンバーからよく話を聞いていましたし、CDも(北原さんから)送っていただいたので、存じていました。新しい声で、新しい息で、新しい時に「旅に出る理由」を演奏していただいて、とても嬉しいです。
 この曲は、安藤裕子さんによる素敵なカバーもありますね。安藤さん、そして欣ちゃん、ありがとう。
 そうか、欣ちゃん(ご存知と思いますが、スカパラ、フィッシュマンズの)に加えて、沖さん、川上さん、そして木暮さんの仕切りで、柳田久美子さんによる「流星ビバップ」のカバーもありますね。あれも荒っぽく洒落た感じで、ぐっと来ます。
 カバーというと、していただくことが一番多いのは、やはり「ブギーバック」。宇多田ヒカルさん、クレバさん、竹中直人さんとワタナベイビーくん、ハルカリとソウルセットなどなど、名を挙げて感謝し出すと何億光年も行きますが、考えてみたら一番最初に反応してくれたのは、ECDさんとキミドリの石黒くんと四街道の北沢くんによるものだったと思います。あれは早かった! 録音されたのは、本曲のリリースから二、三週間以内だったのでは? 「ラップはすぐアンサーソングが出るから」と、キミドリの久保田くんが笑いながら、渋谷シスコで話してくれたのを憶えています。
 それを言うなら、「小沢くんの曲、カバーしたいんだよお」と僕に最初に言って来てくれたのは、実は大槻ケンヂさんだったということを憶い出さないわけにはいきません。「天使たちのシーン」、完全カバー。すげー。
 というようなことを、時も場所も大きく離れた2011年のロサンゼルスで書いているという、この不思議さ。
 ああ、何という時。何という、時と空間。

 曲がカバーされたのを聴くというのは、ちょっと恥ずかしさみたいなものがあって、何よりも、大げさかもしれませんが、目くるめく感じがあります。まあ「あー、こういうコード進行にしたのか」とかも、思いますけれど。
 確かに僕が書いた言葉を、誰かが心をこめて放っている。
 しかも、放たれている先にあるものは、少なくとも最初に聴く時は、僕には見えないのです。
 歌を歌う人は、必ず標的を持っています。それは「恋人に向けて」とかいう単純なことではありません。(まして「○○世代に向けて」などという、マーケティングくさい話ではありません。)その標的は、それぞれ唯一無二で、複雑なものです。歌う人にぼんやりと見える、何かの標的、あるいは標的の予感のようなもの。それがあって、それ目がけて、歌を放つ。演奏する。
 歌が矢だとすると、矢が投げられる先には、何かがある。あるいは、あるはず、という予感がある。
 それは、どんな標的なんだろう? カバーされた曲の場合、投げられている矢自体は確かに、いつか僕が削って磨いた矢なのだけれど、その矢が僕には全く見えない標的に向かって、でも自信を持って、力と喜びをこめて、投げられている。
 それを聴くのは少しどぎまぎする感覚で、「こんな矢でいいのだろうか?」と、ちらりと疑念も持ったりしながら、目くるめく感じで、いただいた録音物を聴くことになるわけです。あるいは、突然流れてくるカバーに、焼き肉屋とかで、出会うのです。

 今は、というかこの夏は6月から、LAの海沿いにいます。家を出ると、太平洋が広がっていて、今日はおそろしく波が高く、サーフィンも水泳も禁止。この波を何千億枚も(枚って言うのか?)越えた向こうに、秋の千葉の渚があるのか。
 成田空港があって。道が続いていて。
 フジファブリックくんたちは、大切な友人をなくしたと聞いたけれど、そんな時に、少しでも力になれる矢をつくっておくことができたのなら、彼らが投げようと思う矢を渡すことができたのなら、それ以上のことはありません。
 思いっきり投げてくれて、ありがとう。


ロス・アンヘレス、天使たちの街にて 
2011年9月6日