町に血が流れる時

 投資界に、「町に血が流れる時は買い時」という格言がある。ロッカフェラーが言ったとか、ロスチャイルドが言ったとか。
 よく「戦後の闇市で一財を築いた」などという表現も聞く。
 町に血が流れる、大混乱の時には、普段できないようなお金儲けができる、ということらしい。
 それは、僕らの今の社会の性質らしい。

 町に血が流れる時、多くの僕らは泣き、立ちすくみ、走り出し、座り込み、呆然とする。
 心配で眠れなくなる。疲れる。誰に向けたらいいのか、怒りがこみ上げる。気持ちが混乱する。後悔する。未来がわからなくなる。居座ろうと腹をくくる。でも、怖い。
 それは多くの僕らの、善意がこんがらがった気持ちだ。
 けれど、町は善意だけではできていない。
 善意に見えるものの裏に、何かがあることがある。
 善意とは関係ない、何かが。

 では、目にする善意を疑ってかかるのか? そんなことはできない。
 あふれる善意は圧倒的に輝き、それは僕ら自身だ。
 でも、その光の中で、巧みに動き回る影もある。
 強い光の中で、影も強くなる。

 だから、ちょっと気をつけていた方がいい。
 いま、いきなり世の中が、違う世の中になったわけではない。
 真実や嘘や、善意や策略や、何だかんだが入り混じった世の中だということは、いつもと変わらない。

 例えば、家族が病気になったとする。
 家族の一人は、ただ心配でつきっきりになるかもしれない。
 別の一人は、俺が稼いでやるからと、一生懸命働くかもしれない。
 別の一人は、落ち込んでいるだけかもしれない。
 病人に言うことも、一人一人違うだろう。
「だいじょうぶだよ」と慰める人もいれば、「まったく、だから煙草は止めろと言ったのに」と怒る人もいるだろう。
 その家族の中に、病人を理由に、自分にとって都合のいい方向に家族内の話を進める人がいても、おかしくはない。
 伊丹十三さんの映画「お葬式」のように、人の中に色々な思惑があるのは、緊急時も普段も、変わらない。
 以前から別荘を欲しがっている人は、「ほら、病人を休ませるために、静かな別荘が必要でしょう?」と、話を進めようとするかもしれない。
 以前から車を欲しがっている人は、「ほら、病人のために、車はやっぱり二台必要だよ」と、家族を説得しようとするかもしれない。
「あたしが警告していた通りじゃない。これからはあたしの言うことを聞いて…」と、家族内での発言力を高めようとする人もいるだろう。
 そのどれもが、僕らの普段の生活の縮図だ。
 それと同じように、社会の緊急時には、僕らの普段の社会の縮図が現れる。

 いつも通り世の中には、善意も策略も、真実も嘘も、美しさも汚さも、混じっている。
 その中で、僕らは生きる。
 多くの僕らは、計算高く生きてはいない。
 多くの僕らは、自分に都合のいいように緊急時を利用しようとは、夢にも思わない。
 けれど、そういう人もいる。
 いるのが普通。
 後で幻滅しないように、そのことは思い出しておいた方がいい。

 その上で、だ。
 あふれる善意を信じたい。
 誰かを、普段より強く思いたい。
 涙をこらえて、強く抱きしめたい。
 言葉は要らなくなり、詩人の役割はなくなる。
 多くの人が、詩そのものになって、きらきらと生きる。きらきらと、亡くなる。
 その詩の中に、宣伝の言葉が入ってくるのなら、「あれって宣伝だ!」と叫んだ方がいい。
 その詩の中に、政治キャンペーンの言葉が入ってくるなら、「あれってキャンペーンじゃん」と見抜いた方がいい。

 緊急時に現れるのが社会の縮図なら、これが最後ではない緊急時を助けるには、縮図のもとになる社会をどうするかということになる。
 縮図のもとになる社会をどうするか。
 つまり、例えば湿疹が出た時、塗り薬を塗って治すことはできる。けれど本当は、湿疹のもとになっている、大きな原因があるのかもしれない。
 そういう話。
 でもそれって、緊急時にする話なのか? とも思う。
「でも緊急時は、人が社会のことを考えるきっかけになるから、利用しないと」と言う人もいる。
 確かに、病気をきっかけに自分の生活のあり方を考え直す人がいるように、緊急時をきっかけに社会のあり方を問いはじめる人もいる。
 わかる。それは自然だ。
 でも、利用って。
 町に血が流れる時を利用するって、それ…。
 多くの僕らには、それはできない。
 けれど、いつも通り、判断は時と場合によって違うだろう。

 強い光の中で、影も強くなる。
 善意に見えるものが策略だったり、悪意に見えるものが真実だったり、賢く見えるものが阿呆で、阿呆が賢かったり。
 でも、それは、いつもの世の中と同じ。

 一つ、大空のように見える。

 おおぜいの人の苦難は、おおぜいの人が助ける。
 すぐに去る苦難ではないけれど。
 おおぜいの人が動く。ほとんどは、美しい詩のように動く。
 動く。回る。走る。止まる。方向を変える。
 気をつけながら。


メキシコシティーにて、4月11日
小沢健二

*投資界の格言"The way to make money is to buy when blood is running in the streets."など