天を縫い合わす

「魔法的」にいらした皆さん、お元気ですか。
 ツアーが終わった後、言うことは何もなくて、サイトは1月のツアー告知の時の絵に戻していました。時間が経ってしまって、すみません。
 多くの方に新曲7曲が良かったと言われて、とても嬉しいです。でも本質的なことを言うと、新曲が良かったとしたら、ああいうコンサートをやる信用のようなものを、僕が客席に対して持てるからです。「なんかさー、変な新曲とかいいからさー、ブギーバックやってよ」みたいな客席だったら、ああいうライブはできないです。
 だから最終日の福岡は「日常に帰ろう」ではなくて、「ありがとう」で終わりました。考えてみたら「日常に帰ろう」も、赤い『魔法的モノローグ』の本にあるように、前回のオペラシティで頂いたものです。
 いやあ、2曲めの『フクロウの声が聞こえる』が終わって客席静かーみたいなライブじゃなくて、良かったです。そうならないはずだから(最初の打ち合わせからスタッフにもそう言って)ああしたわけですが、それにしても。

 ツアーの時、妻は妊娠後半戦のお腹が巨大になる時期でした。行く先々でのお気遣い、ありがとうございました。
 子どもをカンガルーのようにお腹に入れて全国ツアーに連れ回すのは、さすがに子どもに申しわけない気もしつつ、検査で撮った超音波写真には、お腹の中でロックンロール・サイン(人差し指と小指で角の形を作って上げるやつ)を出しているのが写っていて、笑いました。

 その「魔法的」ツアーのリズムをいっぱいに吸いこんだ次男が、先日無事生まれました。『フクロウの声が聞こえる』の、

 天を縫い合わす飛行機
 その翼の美しさを

 という歌詞を憶えていますか? 銀色の機体が航跡雲を引いて、街と街の空を縫い合わす。そんな意味で、天縫(アマヌ。読みの抑揚は「アトム」と同じ。「洗う」の抑揚ではなく)という名前です。他人の子の名前にケチを付けるのは世の大人の慣いかと思いますが、お手柔らかに笑。元気な子で、長男、凜音(リオン、りーりー)によく似ています。
 今のところ、妻はそのまま「アマヌ」、りーりーは「アマちゃん」(抑揚はドラマの「あまちゃん」ではなくて、「キョンキョン」と同じ)と呼んでいます。
 ラテン系の友人は「アマヌ」と聞いて、「マヌ」という呼び名を提案してきました(抑揚は「春」と同じ)。「マヌ」は一般に「エマヌエル」の略。マヌ・ディバンゴという、アフロ・ファンクの人(名曲『ソウル・マコッサ』)が浮かびます。
 りーりーは「弟」とも言います。日本語で「弟、ミルク欲しいんだよ」とか、英語で"Maybe Ototo wants some milk"とか。



 そろそろ、ハロウィーンの季節。ツアーではハロウィーンを舞台にした『シナモン(都市と家庭)』も演りました。「スーパーヒーローに変身する」のやつ。
 あの曲で、反応を一番いただいたのは、

 都市と家庭を作る神話の力
 ゆっくりと進む幽霊船

という部分でした。僕と同年代の人は、特に実感があるのだと思います。

 この「神話の力」は、単純には「ハロウィーンという神話の力が都市と家庭をオレンジ色に塗って、骸骨の飾りをつけていく。その力は、船長も船員もいない幽霊船のように進んでいく」というような意味です。
 でも、それはハロウィーンという小さな神話以外でもそうです。
 僕らの都市とか家庭は、合理性でできているように一瞬見えて、実は全然神話の力で動いています。
 例えば、子どもは常に「なんで? なんで?」と理由を聞くものですが、しつこく聞かれると、大人は答えにつまったりします。
 それはもしかしたら、暮らしの中で「当然」とされることには、多くの場合、あまり合理的な理由がないから。毎日は、神話のようなものの力によって、起き続けているから。
 そんな考えを書いてみたのが『シナモン』です。

 最後に、最初のことを。真冬、モノローグだけの変わったツアー発表の時、クアトロの客席から舞台から、渋谷の雑踏から、ネットから、「魔法的」をくださって、ありがとう。
 さっきの「幽霊船」の対応部分は、

 都市と家庭を作る僕らの力
 ゆっくりと進む海賊船
 それは君と僕との約束を乗せ
 オオカミのように月に吠える

 です。

 ロックンロール・サインを上げつつ
 2016年10月
 小沢健二