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さりげない勝利(ヒックスヴィルの場合)
僕が一緒に演奏してきたミュージシャンはほとんどが毎年華々しく活動していて、スカパラやスチャダラはもちろん、最近のメンバーでも奥村愛さんや遠藤真理さんは音楽でもそれ以外でもお忙しで、すばらしいのはおわかりかと思います。
しかし、バンドとして十五年ぶりに今月CDをリリースしたヒックスヴィルのような行き方もすばらしく、ただ彼らはこの速い世で気づかれにくかったりするので、この稀な機会に、彼らの新譜の話です。
この新譜は明るい一曲目の「レトロピカーナ」から、とても美しい歌詞の「ビデオテープ」、ギターのアレンジがすばらしい「くちづけキボンヌ」、そして先日のレコ発ライブでも最後に生音でやった「サンセット サンライズ」と聴いてきて、ああ、いいアルバムだなーと思っていると、最後にがつっと「皆既月蝕」で不意打ちされるという、すごい出来になっています。
皆既月蝕は名曲なので、アルバムを買わない方もどうにかしてお聴きください。僕が好きなのは「知らない駅の前で 地図とさまよっていた」というくだりで、木暮さんがどこかの町の駅前で迷っている絵が浮かんできて、微笑ましいです。しかし、この曲のサビの一行はなんなのでしょうか? どこから来たのでしょうか? もちろん三人の温かな心の中から来たのでしょう。
「目を閉じて思った この先もずっと
叶うならば この旅路を 続けられたらいいな」
なんという歌詞。なんとさりげない、圧倒。
冬のアメリカ東海岸の高速をぶっとばしながら、「すげーよ、木暮! かっこいいよ!」と涙しました。
そう言えば、真城さんのコーラス生活ほぼ二十周年を祝った昨年の「マシロック」フェスは本当に楽しく、最後にみんなで「愛し愛されて」をやった時は、オリジナルラブ田島さんにAメロを「たじまー!」と振りました。あれとか今の「すげーよ、木暮!」は、もともと僕は二、三才年上の彼ら(二人は確か福島の高校の同級生)が大学時代、新宿のライブハウスなどで演奏していた頃にファンだったので、その名残りです。
後に知り合ってからは「さん付け」ですが、やっぱりファンとしては呼び捨てが気分が出るところ。そういう意味では今や二十くらい下の人が平気で「小沢」とか「オザケン」とか言うのは、感じわかりますのでご心配なく。
二十くらい下の人と言えば「超LIFE」のアフターパーティで、「エクレクティック至上主義」という衝撃的な言葉をナタリーの大山くん、唐木くんのコンビから聞かされました。「小沢くん、エクレクティック至上主義って知ってる?」って、知りませんよ、そんなもの。
で、聞けば以前から名前を聞いていたceroくんたちが「1つの魔法」をカバーしているそうで、その流れの話だそうでした。
たぶんceroくんたちは、楽器を演奏するのがとても好きなのだと思います。うれしいです、1つの魔法。変な3小節パターン。ぶつかる音。ずれていくリズム。
お会いしたら、エクレクティックの作り方、お教えします。
大山くん、唐木くんと言えば、彼らから「小沢くんがファーストの最初のジャケで着てた"Beaver Patrol"のTシャツ作りたい」と連絡が来た時はア然としました。「コメント出してもらえませんか」って、出せませんよ、そんなもの。古着です! 恥ずかしいです!
でも、僕の音楽を良く知っている彼らがそういう無謀なことをできる立場にいることは、割と爽快です。
90年代当時、十代だったリスナーがいるとすると、その人は二十代を紆余曲折しながら過ごして、三十代にやれることができてきて、という風に、大人になるには少々時間がかかります。だから実は、当時どういう人が聴いていたかは、彼ら/彼女らの芽が出てふくらんで花が咲いた今になってみないと判明しないところがあり、判明してみると、結構すごくて焦ります。有名とか偉いとかではなくて、なんか人間性が。
「ああ、じゃあ、もっときちんとやってあげられればよかったなあ」みたいな気持ちと、「ああ、じゃあ、あれで良かったんだな」というのが混じります。
別の見方をすると、今ほこりをかぶった"LIFE"のCDだかアナログ盤だか、汚れた短冊シングルだかをどこかから掘り出してきて、「おお、なんじゃこりゃああああ」と聴いている下手したら三十くらい下の子がいるとしたら、その子は結構無謀な大人になる可能性が高く、楽しみは尽きません。
そう思いながら今、数段落前を読み返してみると、やっぱり「ああ、じゃあ、あれで良かったんだな」と思います。
「超LIFE」については、あれはもう、タケイくんをはじめとした皆さんの愛です。僕に向けたとかいうのではなく、天に突き抜けるような愛です。寒空を溶かしてごうごうと燃えています。
先日のアフターパーティーも朝に差しかかった頃、ワタナベイビーくんが突然ステージで「おれはっ、おれはっ、ああいう白く飛んだ海賊版みたいな映像が大好きなんだっ! きれいに撮られた映像なんかっ、糞くらえだっ!」と叫んでドアノックを歌い出したのですが、気持ち、すごくわかります。
ああいうのも、なんか僕の曲聴いてた子たちってすごいなあ、と恐れ入る瞬間です。
DVDの追加映像にはストリングスを入れた初演のライブから二曲、まさに海賊版のような映像が入っています(「ホテル」というオプションから見られます)。
初冬の東京に行った時の話は、どこからしたらいいのかわかりません。
佐藤雅彦さんの事務所に遊びに行った時の話を、佐藤さんが暮らしの手帖に書いてくださるようです。子ども(りーりーと呼ばれています)連れだったので、そのあたりをめぐる、ピタゴラスイッチっぽいかわいいお話です。佐藤さん、そしてうちのさん、ありがとうございます。
来月始まる岡崎京子さんの展覧会カタログには、7000字くらいの長い文章を寄せました。
そうやって友人を訪ねたり、ライブに行ったり、授業参観に行ったり(甥や姪の)、買い物をしたり(ハイテクなシャーペンとか)、見慣れない店でお茶したりしているうちに、成田からJFKまでの十三時間より速く戻り日が来ました。
そして帰ってきて、頂いた盤を聴いたり、本を読んだり、クリスマスパーティーの用意をしたりしています。
今回お会いできなかった友人たちには、次回は会おうと心に誓っております。
それにしても木暮! 「ビデオテープ」では、
「思い出にも ならなかった 小さな日々が映るよ」
その感傷は、普段どこに隠しているのだ! そしてマシロののびのびとした歌。中森さんの洒落たギター。
すばらしいです。勝利です。
さりげない勝利。
良いクリスマス、大晦日から、新年をお過ごしください。
2014年12月22日
小沢健二