元の原稿は縦書きです。

 妻の話

 春のオペラシティでのコンサートで、花火の映像があったのを憶えていますか? ゆっくりと火が一つ一つこぼれていく、「それはちょっと」での映像。
 ひふみよでもオペラシティでも、投影された映像はすべて妻のエリザベスが作っていますが(例外は過去の映像を編集した、オペラシティでの一曲「愛し愛されて生きるのさ」byタケイグッドマンくん)、あの花火の映像は特に彼女の作風が出ていると思います。日常の映像なのだけれど、すごく幻想的で。

 一方、本当の日常での彼女の特徴は一転して、冗談の感覚だと思います。と言ってもアメリカ人なので、日本の「ボケからツッコミ」型とは少し感覚が異なります。
 例えば、僕がわざとボケて「いやー、なんかすっきりしないなー。こう、頭に水でもかけて、髪を洗ったりする機械とかないかなー?」と言ったとします。すると日本の感覚だと「それ、シャワーだって!」と、割とすぐにツッコミが来ます。
 エリザベスの場合、やっぱりアメリカ風に「…どうだろうねえ…? なんか聞いたことあるなあ、そういう機械…?」と展開して、さらに「あ、わかった! ほら、道ばたに消防車用の消火栓があるじゃない? あれを壊して水ダーッて出して、そこにこう、頭をつっこんで洗うとか」という具合に、倍、倍で話がめちゃくちゃになっていきます。
 そして、おもしろいと思うのですが、ツッコミでまとめることはありません。「なんてね、チャンチャン」みたいなまとめは待っていても来ず、「まあでも、今は外寒いからね…、頭凍るし…」くらいで終わり。
 アメリカは多様な人がいるので一概には言えませんが、彼女のように冗談をどこまでも倍、倍にしていく人は結構いて、僕は好きです。
 考えてみれば、シャワーだということは最初から自明なのだから言わなくてもいいし、むしろ言わないほうが洒落ています。それでも「それ、シャワーやん」とツッコミを入れないと落ち着かない、というのは逆に、日本の文化のおもしろい部分だと思います。

 妻の本名はエリザベス・コールで、結婚しても名前は元のままです。僕も変えていません。お互いに初婚です。
 1976年3月16日、アメリカ・コネティカット州生まれで、現在36才。お父さんはアイルランド系アメリカ人、お母さんはイギリス人。なので正確にはアメリカとイギリスのハーフです。コネティカット州はニューヨーク・シティから車で一、二時間に位置する、基本的にニューヨーク圏の一部です。
 学校はカトリック・スクールから、ルーミス・チェイフィーという、いわゆるプレッピーの伝統校に行きました。
 ファッションでいう「プレッピー」とは、ルーミスのようなプレップ・スクールの生徒風の恰好、という意味です。アーガイル柄とかブレザーとか、ブランドだとブルックス・ブラザーズとかポロとか、白人の良家の子女がする恰好というイメージ。時々流行だと聞きますが、妻も含めて、プレップ・スクール出身者はプレッピー風の恰好が割と嫌いです。高校時代に半ば強制されていた服装ですもんね…。

 学歴云々ではなくて、勉強が好きな人にとっては、どこの大学に行くかは結構重要だったりします。周りの雰囲気って影響するので。
 妻はブラウン大学に行きました。ブラウンはハーバードやイェールなどと共にアイビー・リーグの一門ですが、ハーバードなどに行くと東大を思い出すのとは違って、ブラウンにはどちらかというと京大がよく言われる、ボヘミアンな雰囲気があります。目先の役には立たない話を延々とすることを厭わない、みたいな雰囲気。結論を求めずに、話の展開そのものを楽しむ文化というか。
 さっきの「冗談を倍、倍にしていく」感覚も、それかもしれません。
 そのブラウンを卒業した後、ニューヨークのニュー・スクール大学でメディア・アートの修士号を取っています。この大学は二十世紀初めから、先進的で社会意識の高い校風で知られています。ジョン・ケージが音楽を、ヴェブレンが経済学を教えていた、おもしろい大学です。ジャック・ケルアックも通っていたそうですよ。路上に旅に出る前に。
 僕が友人を通じてエリザベスに出会ったのは、彼女がグリニッチ・ヴィレッジにある、この大学院に通っていた頃です。芸術や文学の好みが似ていただけでなく、政治や社会についての考えも話が通じたので、すぐに仲良くなりました。
 仕事としては大学の頃から写真、映像、文筆の分野に携わってきて、文筆は英語とスペイン語です。ネットで見られるものでは、ラテンアメリカに大きな影響力を持つメキシコの新聞「ラ・ホルナダ」で長く報道写真とレポートの仕事をしていて、例えば最近のものはこんな感じこれ、とか、これも良いです。刊行物では昨年、伝記「イーディー」で有名なジーン・スタインが雑誌「ヴァニティー・フェア」に寄稿した記事で仕事をしています(写真撮影はウィリアム・エグルストン)。

 それらに加えてひふみよ以来、僕と共同作業でコンサートの舞台美術やデザインをやっているのは、皆さん既にご覧になってご存知だと思います。
 ミュージシャンが例えばCDジャケットやサイトのためにデザイナーと仕事をする場合、普通は一度打ち合わせをして、後日デザイナーさんから形にしたものが送られてきて、それを修正して、という風に進みます。
 僕らの場合は夫婦ですし、自分らで手を動かして作業をしますから、打ち合わせとメールのやりとりで進行するやり方ではありません。着想から作業まで、ひふみよ以来デザイン面で皆さんに見てきて頂いているものは、僕らが日常でしている息そのものです。
 今はそういうものが良いかと思って、倍返しの冗談で気を楽にしながら、製作しています。(プロのデザイナーさんの仕事の良い点は、重々承知しています。)
 もう一つ。僕の友人たちはみんなエリザベスと仲が良いです。これはとても嬉しいことです。

 さて、その妻が現在妊娠四ヶ月で、来年6月6日に出産を予定しています。
 妊娠がわかってからもう大分経つのですが、僕としてはただ「女性ってすごいなあ」という感を強めるばかりで、男親および男性というものの役割は一体何なのか、裏庭を通りすがる近所のオス猫などをにらみつつ、考えております。
 僕ら男性がそういう役にも立たない思索をしたり、手伝うことはないかとウロウロして延長コードにつまづいたりしている一方で、妊婦さんたちは九ヶ月の間、一秒一秒の重みを感じながら暮らした挙げ句、出産という男性には想像もできない痛みを引き受けるのですから、産婦人科の待合室などで、「この人たちは一体どういう種類の人たちなのだろう?」と思ってしまいます。
 取材等を受ける有名人と異なり、妻は一般人です。従って情報を出さないという選択肢もあるのですが、今どき、そのほうがむしろ誤情報が広まったりします。そして妊娠は明らかに、僕のお腹に起こっていることではなく妻に起こっていることなので、その妻の人となりを少しお話ししつつ、僕らの日常に起こっている息をお伝えすることにしました。
 世の中が急いて変わってゆく年の瀬から新年、時にはゆっくりしながら、元気にお過ごしください。

2012年 クリスマス
ニューヨークシティ
小沢健二

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